産業医は「形だけ置いておけば大丈夫」?何もしない場合のリスクを実務目線で解説

産業医って、名前だけ置いておけば問題ないのでしょうか?
何もしなくても大丈夫ですか?

形だけの産業医は、法的にも実務的にもリスクがあります。
最低限の活動は必ず必要です。実際の最高裁判例も含めて解説します。
「形だけの産業医」とはどんな状態か
よくあるのは以下のようなケースです。
- 月1回も会社に来ない
- 名義だけ借りている
- 実質的な活動がない
昔から続いている契約形態で、今でも見られるケースです。会社としては「産業医はいる」という状態ですが、実際の産業保健活動はほとんど行われていない状態です。
法律上、最低限やらないといけないこと
産業医は「名前だけ」ではなく、労働安全衛生法および同規則で定められた活動を実施する必要があります。
主な法定業務は以下のとおりです(労働安全衛生規則第14条・第15条)。
- 安全衛生委員会への出席:原則 月1回(労働安全衛生法第18条)
- 職場巡視:原則 月1回(規則第15条)※条件付きで2ヶ月に1回可
- ストレスチェック後の面談:高ストレス者から申出があった場合(労衛法第66条の10)
- 長時間労働者への面談:月80時間超の残業者(労衛法第66条の8)
👉 これらが実施されていない場合、形式的に産業医を置いているだけでは不十分と判断される可能性があります。
📌 注目データ:産業医に関する裁判件数は急増しています
日本産業衛生学会の調査では、産業医が関与する裁判事例は2002〜2012年の10年間で165件だったのに対し、2013〜2023年の10年間では346件と約2倍強に増加しています。(参考:J-STAGE・日本産業衛生学会)
実際に起こるリスク①:労基署対応
従業員のトラブルや労災などが発生した場合、労働基準監督署(労基署)が企業の体制を確認します。その際に確認されるのが以下の点です。
- 産業医が適切に選任されているか
- 実際にどんな活動をしているか(議事録・巡視記録の有無)
- 法令に沿った対応がされているか
👉 ここで問題が発覚すると、是正勧告や指導の対象になります。産業医未選任の場合は50万円以下の罰金(労働安全衛生法第120条)が科される可能性もあります。
実際に起こるリスク②:メンタルヘルス問題と裁判事例
パワハラ・職場環境・長時間労働などが絡むと、労基署対応や裁判に発展することもあります。このとき「産業医が関与していたかどうか」「面談対応がされていたか」が企業の安全配慮義務の重要な判断材料になります。
📋 実際の裁判事例①:電通過労自殺事件(最高裁 2000年3月24日)
新入社員(24歳)が入社1年5ヶ月で慢性的な長時間労働によりうつ病を発症し自殺。遺族が会社に損害賠償を請求した事案です。
- 東京地裁(1996年):会社に約1億2,600万円の賠償を命令
- 最高裁(2000年3月24日):高裁判決を破棄差戻し
- 最終和解:約1億6,800万円の支払いで成立
最高裁は「使用者は、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負う」と明示。これが安全配慮義務のリーディングケースとなっています。
📋 実際の裁判事例②:東芝メンタルヘルス事件(最高裁 2014年3月24日)
プロジェクトリーダーに昇格後、過重業務でうつ病を発症。業務軽減の申し入れを無視され、休職→解雇に至った事案です。
最高裁は「労働者が申告しなくても、業務を軽減するなど心身の健康への配慮が必要」と判示。体調悪化が見られた時点で会社が対応する義務があることが確定しました。産業医が機能していれば、早期の面談・業務軽減勧告ができたケースです。
🔗 参考:メンタルヘルス裁判例 – 厚生労働省「確かめよう労働条件」
実際に起こるリスク③:過重労働と重大事故の裁判事例
長時間労働が続いた結果、脳出血・脳梗塞・心筋梗塞などの心血管疾患で倒れるケースがあります。「産業医面談が実施されていたか」「適切な対応がされていたか」が問われ、企業の安全配慮義務の判断に直結します。
📋 実際の裁判事例③:横浜南労基署長事件(最高裁 2000年7月17日)
支店長付き運転手(54歳)が業務中にくも膜下出血を発症。最高裁は「過重な精神的・身体的負荷が基礎疾患をその自然の経過を超えて増悪させた」として労災認定。この判決がその後の労災認定基準の大幅な見直しにつながりました。
🔗 参考:過重労働裁判例 – 厚生労働省「確かめよう労働条件」
📋 実際の裁判事例④:静岡県警部補過労自殺事件(最高裁 2025年3月7日・最新判例)
警部補Aが自殺直前の1ヶ月間に月112時間超の時間外勤務、14日連続勤務を2回繰り返す中でうつ病を発症し自殺。ストレス診断で最低評価「E(かなり悪い)」だったにもかかわらず、上司は何の対応もしませんでした。
最高裁は「上司らは、Aが過重な業務に従事していることを認識できたにもかかわらず、負担を軽減するための具体的な措置を講じていない」として原判決を破棄・差戻し。ストレスチェックで問題が検知されても対応がなければ、それ自体が義務違反の証拠になり得ることが示されました。
🔗 参考:過重労働裁判例(最新) – 厚生労働省「確かめよう労働条件」
なぜ「形だけ」にしてしまうのか
① コストの問題
産業医契約は高いという認識があり、最低限で済ませたいと考えるケースが多い。
② 必要性の理解不足
法令の内容が十分に理解されていない。「とりあえず置けばOK」という認識が残っている。
👉 しかし実際の裁判事例が示すとおり、形だけの状態が発覚した際の損害賠償リスクは、適切な産業医活動にかかるコストをはるかに上回ります。電通事件では最終的に1億6,800万円の和解金が支払われています。
ではどこまでやればいいのか(判断のポイント)
すでに産業医契約をしている場合は、現在の活動が法令に沿っているか確認することが重要です。
- 安全衛生委員会は毎月開催・産業医が出席しているか
- 職場巡視は月1回(または2ヶ月に1回)実施され、記録が残っているか
- ストレスチェック後の高ストレス者への面談対応ができているか
- 月80時間超の長時間労働者への面談が実施されているか
- 活動記録(議事録・巡視チェックリスト・面談記録)が残っているか
👉 これらができていない場合、将来的にリスクが顕在化する可能性があります。
まとめ
産業医は、「置いているだけ」で意味があるものではなく、「活動して初めて意味があるもの」です。
形だけの状態では、以下のリスクに対応できません。
- 労基署対応(是正勧告・罰則・50万円以下の罰金)
- メンタルトラブルによる損害賠償(東芝事件・電通事件など)
- 過重労働・脳心臓疾患による損害賠償(横浜南労基署長事件など)
最高裁は一貫して「使用者は労働者の健康を損なわないよう注意する義務がある」と判示しており、その判断において産業医が関与していたかどうかは重要な要素となります。
👉 問題が起きてからでは遅いため、現状の体制を一度見直すことが重要です。
よくある質問(Q&A)
産業医が実際に来ていなくても問題ないのでしょうか?
法令上、職場巡視や安全衛生委員会出席などの実施義務があります。
「来なくていい」状態になっている契約は、それ自体が法令違反のリスクを含みます。今すぐ契約内容を確認することをお勧めします。
ストレスチェックだけやっていれば大丈夫ですか?
ストレスチェックの実施だけでは不十分です。
2025年の最高裁判決でも、ストレス診断で最低評価が出たにもかかわらず対応しなかった事案で安全配慮義務違反が認定されています。
高ストレス者への面談対応まで行って初めて義務を果たしたといえます。
「名ばかり産業医」の状態でトラブルが起きたら、どうなりますか?
労基署の調査で産業医活動の記録がない場合、是正勧告の対象になります。
さらに労働者から損害賠償請求が起きた場合、「産業医が機能していれば防げた」と判断され、企業の安全配慮義務違反が認定されるリスクがあります。
電通事件では最終的に1億6,800万円の和解金が支払われています。
投稿者プロフィール

- 原産業医事務所 代表産業医
- 【経歴】
産業医科大学 医学部医学科 卒業。済生会系病院での臨床研修・救急、総合診療勤務を経て、複数の企業で嘱託や専属産業医を歴任。
その後、産業医学・公衆衛生の専門性を活かし、「原産業医事務所・梅田北オンライン診療クリニック」を立ち上げる。
京都大学大学院(社会健康医学系専攻)を修了し、働く人々の健康や医療アクセスの課題に向き合いながら、臨床と予防の両面から医療の新しい形を実践している。
【資格・所属】
日本産業衛生学会・社会医学系専門医・指導医/労働衛生コンサルタント(保健衛生)





